お通夜終わって変なテンション。


皆様こんばんは、鏡龍太郎です(古ッ!)

あ、特に意味はないんですYO。
何、いきなりこのテンション。。。
カラ元気ですか、そんな言葉もありますね、そうかもね、そうなんだね、そうなんだよきっとね、ってか、涙、うざっ!
出過ぎやねん。
何で止まれへんねん!
今日一日、仕事中、30分に一回30分間泣く。
30分やまったら、また泣く。
8時に始業、その時には既にウルウルしたんで、9、10、11、12、13、14、15、16、と帰りの更衣室とバスの中と、家に帰って喪服に着替え中と。。。
そら喉も渇くでな(笑)

え~と、既にお知らせしましたが、昨夜の18:30頃、私の彼氏(私にとっては彼氏だわよ、そら)啓君享年60歳(還暦の人に君付けとかw)が永眠いたしました。
特に可愛がっていただいた何人かの方は、既にご存知なのですが、病名は膵臓がんで、見つかったのは、去年の秋から冬の頃、ステージⅣbと言う診断でした。
その時点での余命は2~3ヶ月、なんて言う状態で、黄疸も有り、な感じ。
胆管にステントを入れ、黄疸症状軽減後に抗がん剤を開始する、と言う方針で、治療を開始するも、口からの内視鏡が通らず、中々カテーテル出来ずに数週間も・・・。
その病気では、一応名医と言われている成人病センターと言う医療機関に転院して、同じ処置を試みるも、やはり無理だったりで数週間。
この時は、ホントに気がきじゃなかった。
余命宣告の約半分の期間を最初に行なう処置でつまずいてるなんて・・・。
その後、腹腔鏡にて、肝臓側からのアプローチにより、無事にステント留置に成功し、黄疸症状が軽減方向に向かう。
この時に、患部の細胞診で、正式に膵臓がんと確定診断される。
去年の冬~春の話。
ほぼ毎日、森の宮と言う駅まで、地元堺から、会社帰りや、休みの日に、JRや、地下鉄や、電車好きだからねぇ、なんて言いながら、「毎日来なくて良いよ」っていうあの人の所に通ってた。
必然的に、家は散らかり放題で、外食を一人で出来ない私はご飯を食べない事も多くて、この頃に、8kg痩せた(笑)
見るに見兼ねたのか、来るんだったらコンビニでお弁当を買って来い、と言い出して、それからは病室で、こっそりとお弁当食べるようになった。
彼は、つまみ食い。
膵臓病食、って全然味気がないんです。
ホンマ美味いわ、役得役得~って、嬉しそうに言われると、なるべく病院では出ないような、つまり身体には良くないであろう物を私もついつい買って行っちゃうの。

そうなる前の季節、記録的猛暑だった夏に、糖尿病で、教育的入院をした。
「こんな暑いし、良い休暇になるわ」なんて気楽に、1ヵ月半の夏休みを満喫してた。
良いなぁ、とか言ってたな、私。
彼、その少し前の健康診断で、血糖値高いね、なんて言われてたので、一緒に運動が出来たり、何か有った時には、直ぐに行けるし、と私のお家の近くでとあるマンションを発見。
空きはないかと検索してみると、ちょうどその日に掲載されたほやほやの物件が・・・。
残念なのが現住者の転校の都合で、引渡しが翌春になるとか・・・。
だけど、さっさと購入を決めた彼に、一緒に歩いたりしてあげるから、とか、軽度の糖尿以外の重大な病なんて疑いもせず、半年後に始まるであろう毎日のラブラブウォーキング(笑)にワクワクしてた。

そんな頃に、糖尿の経過観察かなんかで、と受診したら、黄疸も有るし即入院をと。
何も持たずに、即入院とか言う緊急事態に戸惑いながらも、とりあえずの胆石の診断に、ま、少しほっとした。
そんなに難しいはずはない胆石の治療を当院では無理なので、と、地元の公立病院に転院することになり、ここでの精検で膵臓がんの疑いがある、と発覚したのでありました。

成人病センターの入院中、に、購入したマンションの引渡し時期を迎えた。
それまでにも何度か、「もぅ辞めて、今までのお家で、先進医療とかにお金を使うとかどう?」って聞いてみたけど、「嫌や、お前の近くに行って、広い風呂も楽しみやし、床暖房も楽しみやし、折角買ったのに絶対に新しい家に帰る」と。。。
私は、引越しを私がやる覚悟をした。
マンション引渡しの決済の手続きも、委任状を書いて私がやった。
引越業者の手配は彼が済ませてあったので、その日取りに合わせて、彼の旧宅での引っ越し作業が始まった。
病室に行かないといけない時は、森ノ宮経由で豊中まで。
夜遅くに堺の私のお家に寝に帰る、とか、そんな2週間を過ごしたっけな。
梱包を終えて、明日いよいよ引越しだよって日「ありがとうな、次は俺が頑張ってお前が用意してくれた新しいお家に帰れるようになるから、ね」って頭ポンポンって・・・。
当たり前やで、このままなったら、後どうして良いか解らんわ!

引越しを終えて、直ぐに要る物の開梱を始めた頃、彼の方は、順調に体力を回復してきて、退院の話もチラホラと出始めた。
と言っても、根治したわけではないので、帰ったら抗がん剤をこれからはじめるのでありますが・・・。

ま、開梱も進み、そこそこ住める状態になって、彼も退院してきて、毎日一緒に買い物に行ったり、なんだか本当は治ったんじゃないの、と思うような日々が少しだけ続いた。
必要な季節でなかったから、床暖房こそ使いませんでしたが、一日中広いお家で、好きな時にお風呂に入って、と、出来たホンの僅かな日々でもありました。
が、抗がん剤の副作用が強く、月曜日週一の投与なんですが、元気に過ごせるのは投与してまだ充分に効き目の出ていない火曜日と水曜日位で、それ以降は、高熱が出たり、食べた物を戻したり、と、抗がん剤の効果は出ているようでしたが、QOLは低下していきました。


この頃になると、私から彼に送るメールは職場から、今日は抗がん剤が出来たのか?って言う月曜日の確認と、その副作用の影響が、今日は出ていますか?って言う火曜から金曜までの2種類になってた。
週末は一緒に居ますからね。
実際、3週投与1週休薬の周期にもかかわらず、1週投与2週休薬、なんて事もしょっちゅうで、私の知る限り、退院からのこの2ヶ月位が、欲しいと言う物を買って、作ってしても、いよいよ全てを戻すようになっていって、抗がん剤の副作用に対抗出来る体力も無くなって行った、一番症状の進んだ時期だったように思う。。。


何とか栄養を摂取出来るように、と、胃と小腸のバイパスの処置をする事になった。
自分の口でご飯を食べる事にこだわっていたのかな。
そりゃ、ご飯、おいしいもんね。
ただ、開腹しても、画像診断の状態よりも悪い状態だった場合には、何もしないで閉じますが、と、言うギリギリの状態ではあったようです。
結果は、成功で、徐々に普通食が食べられるようになってきた。
今回の入院をする前の、あの元気だった頃よりもまだ元気な位で、これなら大丈夫ね、と、退院の日が決まった。
帰って抗がん剤をして、また副作用が、って事になったら大変なので、退院前に、一回~二回してみといたらどうですかね?なんて私が言ったからか、抗がん剤を再開することにしたようだ。
1回目の投与が済み、それなりの副作用に苦しんだみたいですが、入院前よりはマシって事で、続いて2回目を・・・。
ここで、副作用が更に強くなり、ステントの入っている胆道が炎症を起こして高熱が数日続いた。
抗がん剤は「もう辞める」と言う本人の決断を支持するよりなかった。
薬を辞めたのであれば、病院で出来る事はひとまずなくなりますので、退院は、そのまま実行しましょうか、と言う話しになりますが、炎症による発熱が中々下がりません。
ドクターは、延期しても良いよ、と勧めましたが、私も付いているし、と彼が主張し、渋々ながら、退院の許可が出ました。

退院の日、発熱で、まだフラフラしていましたが、車で連れて帰りました。
彼のマンションに付くと、私が車の扉を閉めている隙に、前に転倒して、顔を打って、口の中から出血とか。。。
超~www
たまたま通り掛った別の階の人に助けを求めて、何とかエレベーターに乗せ、エレベーターから玄関まで引き摺るように連れて、部屋に入りました。
入院中の荷物とか、エントランスに散乱させつつ、の大変な出来事でした。
熱が下がるまでそれから数日が必要でした。
抗がん剤の副作用、彼にとってはそれ位重い物だったようです。

抗がん剤を辞めてからの日々は、ホントに穏やかに過ごしました。
病状が進行していくのを止める事は出来ませんが、毎日、食べたい物を、ホンの少しですがちゃんと食べて、この頃からお家に来てくれるようになった娘と孫に囲まれて、自宅で、って、今時、中々ない最期だったんじゃないでしょうか。。。

私は、そんな彼の末期の人生に、何がして上げられたのか、もっと他に何か方法はあったんじゃないか、と、後悔ではありませんけど、色々と考えてばかりのここ数日ですw
何かください^^;